1. 出生の謎 00/11/15
いったいコイツは誰なのか…と、正体判明までにさんざん憶測の飛び交った、人気大ブレイク間違いなし(予想)の、この新キャラ…なんとルフィの「兄貴」だったという、ベタすぎて逆に意表をつかれた設定を残し、ついでにカラーにもならぬまま、また颯爽と行方をくらましてしまったわけだが(再登場はいつだろうなぁ…)
だがはっきりいって、判明したのは、「どうやら兄貴だったらしい」という、その表面的な設定だけで、その実情のほうは、何ら一切解明されていない。
また、その設定自体にしても、ひと目で相手に気づき、互いに思いやる心の通った仲でありながら、なぜこれまで、その片鱗がまったくルフィの口端にすらのぼらなったのか、等、疑問点が多すぎるのである。
「以前はまだ、そこまでの設定がなかっただけじゃないの」等の意見も、むろんありえることだろうが、ここはやはり「伏線王・尾田栄一郎氏」の技量を信じ、またその顔を立てる意味でも、「これまでまったく存在が出て来なかった事実それ自体が、すべて何らかの伏線なのではないか」との前提で、考察を進めたいと思う。
さて、では互いに「兄貴」「弟」と認識しあってはいたものの、はたしてエースとルフィは、世間一般でいうところの正式な「兄弟」なのだろうか? つまりは両者の間に、
「血縁関係=(遺伝的にみても正真正銘の兄弟)」、もしくは
「家族関係=(血のつながりはないが、兄弟として同じ家・保護者のもとで育てられていた)」が、
本当に存在しているのだろうか? まずはやはり、ここが疑問になる。
ルフィが賞金首となって世界中に知れ渡った時、フーシャ村の人々の会話はこんな具合だった。
「こりゃもしかすると、この村から大海賊が出ちまうかもな」
「そりゃいい!!!」(12巻123p)
…この会話、裏を返せば、現時点ではフーシャ村出身の大海賊などというものは現れておらず、もしルフィが大海賊になってくれれば、村で初の快挙だ!! という意味であろう。
だが、ルフィの3年前に同じく海に出たエースも、「海賊王」とまではなってないにせよ、同じく賞金首として手配書が出回っており(少なくとも、
スモーカーがひと目で気づいたくらい、顔は売れている)、世間的にみれば間違いなく「大海賊」になっているはずなのだが。
また、もしエースがルフィとともに、その旅立ちまでフーシャ村にいたのだとすれば、シャンクス率いる赤髪海賊団が村に立ち寄っていた時、後々同じく海賊となっている彼であれば、当然、噂に高い大海賊をひと目見るべく、その場に居合わせているべきではないだろうか、とも思えるのだ。
つまり、これはひょっとすると、エースはフーシャ村の出身ではない? …ということかもしれない。そもそもルフィも、エースについて、自分が住んでいたと同じ「島」とは口にしているが、「村」まで同じだとは言い切っていない(ハズ)
というわけで、現在の状況から想像しうる、ありえそうな設定となると、私が思いついたのはこんなところである。
●同じ島で別々に住んでいた、幼少時の遊び仲間で、本人たちの間で勝手に「兄貴分」「弟分」と役割を決めたうえで、その暗黙の盟約の上に、疑似「兄弟」になりきっている
(…よーするに、トム・ソーヤーとハックルベリィ・フィンのような関係なのではないか、ということだ)
●ルフィの7才時以前までは、本当の「兄弟」としてともに育っていたが、何らかの理由 (両親の離婚とか、死別とか…??) で別々に引き離され、それでも子供同士ではよく会っていた。
なお、エースにも関連して、ルフィの家族についての新たな考察を「ルフィの謎」に追加したので、そちらもあわせてご覧いただきたい。
2. 「D」の謎、三たび… 00/11/18
モンキー・D・ルフィ、ゴール・D・ロジャー、そしてポートガス・D・エース…
と、なにやらいきなり、「悪魔の実の能力者」増殖とあいまって、こちらも続々現れてきた「D」の一族(??)
これまで、読者から質問を受けても「今はただ何も考えずに…」と追究をかわしてきた作者が、ようやく満を持して、本格的な伏線を張りに乗り出して来た、というところだろうか。まあ、謎がすっきり解明されるのはたぶん最後の最後で、それまでずっと、引きずられることにはなるのだろうが…
なんにしても、この綿密な計算高さ、どこか「百計のクロ」を思わせるところすらある(…まあ漫画や小説のキャラクターってのは、すべては生みの親の人格の切り売りだともいうし、クロのあの人格も間違いなく尾田先生の一部ではあるのだろうが)
だがとにかく、こうなってはもう、「何も考えずに…」というのも無理な注文というわけで、この三者にそれぞれ付随する「D」について、現在わかっている状況から推測していきたいと思う。
ミドルネームというのは、一般庶民には明治まで名字すらなかった、そして父権が圧倒的に強かった日本人には、いまいちなじみの薄い要素かもしれないが、まあだいたいは、婚姻によって改姓した側の旧姓であったり、出生時、子供の命名の際に、その家に伝わるゆかりの名、あるいは祖父母あたりから名を借りてきて継がせたもの、といった場合が多いようである。
あと、そういえば、現実の地球のある地域では、結婚してもそれぞれの姓をどちらも抹消する習慣がなく、そのたびに両家の姓をミドルネームとして増やしていくため、代々えんえんと連なる名前を受け継いでいるような民族もいるらしい、といった記憶もあるが…まあ、これはかなり特異な例ではある。
で、この三者に共通する「D」であるが…もしこれが、同じ姓名を指した頭文字で、上記に挙げたもののように、婚姻もしくは血縁によって受け継がれてきたものであるとすれば、ルフィ、ロジャー、エースの三者は、同じ親族、つまり系図上において、どこかでつながっているのではないか、ということになる。
それについて、現時点までで得られた情報と照らし合わせて推測するに、もっとも無難かつオーソドックスな線としては、ルフィとエースが、彼ら自身が宣言しているように、そのまま血を分けた「兄弟」で、ロジャーがその父、もしくは祖父、とするものだろう。
ただ、ルフィとエースを本当の兄弟だと仮定した場合、先頭にきている両者の本姓が異なっているのが、まず第一の疑問となる。
これを、やはりもっともらしい線で解釈していくなら、「D…」という姓の、ある人物に対して、「モンキー」なる家系と、「ポートガス」なる家系の両者との間にそれぞれ子ができ、父方か母方か、どちらにあたるのかは知らないが、とにかくどちらの子にも「D」のほうが旧姓として、ミドルネームに残された、というものだ。
つまりこの仮定でいくと、ルフィとエースは、片親だけが同じという、いわゆる異父または異母兄弟、ということになる。
また、ここでさらに、ロジャーを彼らの先祖と位置づけようとすると、今度はまたまた「ゴール」なる家系も加わってくるというわけで…ああ、ややこしい。
しかし、私個人的には、こんなありきたりの継承システムなどに関係なく、すべては「Dの意志」によって受け継がれる、というものであってほしいのだが…しかし、いったんこの方向に持っていってしまうと、ではその「Dの意志」ってのは何だぁー?? …というあたりが解明してくれないかぎり、考察を先へ進めることができないのである(苦笑)
それと、ついでに無駄口を叩くなら、作中「Dの一族ではない」とはっきりわかっているのは、ロロノア・ゾロ、ベン・ベックマン、ラッキー・ルウ、ジュラキュール・ミホーク、ネフェルタリ・コブラ、ネフェルタリ・ビビといったくらいのもので、実質的にはフルネームが判明していないキャラのほうが多く、「実は、意外にも○○の本名にも D が付いていた!!」…という展開に到る可能性も、あり得ないことではない。
まーしかし、そこまで「D」を乱発されると、伏線としての価値 (?) も急落するというもの。まあ、この3人あたりでとどめておいてほしいのですがね、私的には。
3. 「登場」の意味 00/11/28
さて、「エース登場」とのタイトルで、華々しく前面に躍り出て来た彼。
これまでの経過によって見い出されていた、ワンピにおける仲間の法則 (「ウソップの謎」を参照のこと)
にあてはめれば、「登場」と付いて出てくる人物は、後々、何らかの形でルフィ海賊団にかかわってくるキャラである、ということになっているのだが…
しかし…ではエースも、現ルフィ海賊団の面々がそうなったように、後々「仲間」になってくるのだろうか?
これは予想というよりも、もはや危惧にあたるものかもしれないが、もしエースが何らかの因縁の末、ルフィ海賊団の一員となるべくゴーイングメリー号に乗り込んで来る、との状況を仮定してみた場合…おそらく、今もっとも絶妙のバランスが保たれている、メンバー間の能力・性格・ポジションの関係、その均衡が、彼ひとりのために、一気に崩されてしまいかねない懸念を抱くのである。
エースが、仮に単独で主役級の役どころを張ったとしても、充分に耐えうる魅力的なキャラであることは疑いない。いや、すでに彼自身の個性や能力が強烈すぎ、たとえ準主役レベルとして脇に出て来た場合でも、それだけで周囲のキャラクターを食ってしまいかねないのは目に見えている。
これは何も、読者へのウケとか人気とかいうだけのものではなく…たとえば戦いに挑む場合、ルフィを中心にしてゾロ・サンジの三人が戦闘の核となり、ウソップ・ナミ・チョッパーは後方での援護・頭脳プレイに回るという、この理想的な布陣が、エースがここへ割り込んで来た場合、まったく意味をなさなくなる(価値を失ってしまう)
ような気がするのだ。
このあたり、かつて「るろうに剣心」で、和月伸弘先生が、剣心の師匠・比古清十郎について語っていたものと、なんとなく重なるところがある。
「るろうに剣心」12巻92p に、和月先生は比古清十郎についてこう書いている。
「…今では、かなりお気に入りキャラの一人で、本当はもっともっと登場させたいのですが、何せ、実力的には剣心より強いという、担当さん曰く『トランプにたとえればジョーカー』な奴で、万能すぎて、かえって使い所に困ってしまうというのが実情です」
そう、つまりエースは、その名前とは裏腹に、位置付けとしては、むしろ「ジョーカー」に近いのかもしれない。敵か味方か、黒か赤か、どちらに属すのかすら判然とせず、しかしいずれの陣営に渡ったとしても、その効力だけは、常に他を圧して絶大…というやつである。
その一枚が加わるかどうかで、ゲームの進め方や戦法までも変わってしまうという、それだけの影響力を有している。
そしておそらくこれは、シャンクスにも通ずる教訓であろう。ひとたび再登場させれば、またまた絶大な反響を呼ぶのは目に見えているのだが、あまりこのカードにばかり頼り過ぎると、今度はだんだん、次に打つ手が苦しくなっていく。
こーゆう威力のある手札は、通常はポーカーフェイスをよそおってこっそり手中にしまっておき、ここぞという機会を狙って場に出す、というのが、もっとも効果的な使い方なのである。
…このあたり、和月先生の弟子でもあった尾田先生は、さすがによく心得ておられるが(笑)
で…話題を戻し、そもそも「登場」というサブタイトルに関して、最近は以前ほどに徹底した規定はなくなっているように思う。
「そのキャラが初登場した回」というのがこれまでの前提であったにもかかわらず、エースが実質的な初登場を果たしたのは、第154
話の「アラバスタへ」だし、あとチョッパーも、「登場」のついていた139 話より以前、134 話「Dr.くれは」の回が、実は初登場なのだ。
また、少し話はそれるが、134 話「Dr.くれは」や、42話「ヨサクとジョニー」あたりも、「登場」とはついてないにせよ、一時期は完全にルフィたちの側について、支援・協力してくれたキャラの初登場の回である。結局、彼らとは「仲間」にならず別れてしまったわけだが、では、この「登場」が付くか付かないかの差は、どこにあるのだろうか。
…ひょっとすると、その一連のシリーズ(つまり、「バラティエ+アーロン編」とか、「名も無き国編」とかの話のひとくくり) だけで仲間になる、ワンポイントキャラか、シリーズの区切りにかかわらず、以後ずっと、何らかの形で
ストーリーにからんでくるキャラかどうか…で決まるものなのかもしれない。
そうだとすれば…なんとなく、解決、というか納得できそうな気もしないでもないような気がするのだが…さて、どんなもんでしょうか(笑)