メインキャラクター・コンビ論 その1 サンジ&ナミ …その1


by PURU IWASAKI
 コンピ論「その1」が、なんでこういう組み合わせから始まるのか? というのは、ひとえに私の嗜好によるところであり…また今ちょうど、この2人なら何か書けそうな気分になっていたからであり…ま、もはやどーしょーもねェのです、これが。

 あと、もひとつ確実にいえることは、もし「その2」が続いたとしても、片割れは必ずサンジで固定された組み合わせになるであろう…ということで、その点もあらかじめご理解ください(そーいうサイトだからね、ここは)

 さて。サンジとナミに関して、簡潔に共通点を言い表わせば、まず、この2人は境遇が似ている。夢のあり方、目的も似ている。ついでに、性格・他人への思いやり思考も、なんとなく…似てんことはない。


 「夢」…ルフィの「海賊王」、ゾロの「大剣豪」、ウソップの「勇敢な海の戦士」…に比べ、「世界地図」と「オールブルー」は、明らかにその体質が違う。

 理由は明快、その「目標」と掲げるものに、自分が「なる」のか、それを「完成させる」「見つける」の違いである。

 なお、チョッパーの「万能薬」についても、そういう薬を「作る、見つける」のではなく、何でも治せる医者に「なる」と言っているのだから、これも分類はやはり、ルフィたちと同様の前者であろう。

 で…これはつまり、自分の人生がそのまま「夢」に直結しているか、それとはまったく別々に切り離して置くことができるか、という違いでもある。

 ルフィの「海賊王」もゾロの「大剣豪」も、自分がそれに「なる」ことを決意した瞬間から、それはもう彼らの人生の指針を決定づける絶対的な要素となって、以後、自身が「夢」を捨てないかぎり、それこそ死ぬまで、必然的に一体化することになる。

  ゾロの例が一番わかりやすいが、つまり、ミホークを倒して自分が「世界最強の剣士」になれば、もちろんそれで「夢」はひとまずかなったことになるわけだが、それと同時に、今度は自分が、同じく「最強」を夢見る新たな世代の目標となり、いずれ何者かの挑戦を受け、ついには自分が倒される、つまり「死ぬ」…時、夢は破れて、人生も終わる…ということだ。

 「海賊王」になっても、「勇敢な海の戦士」「何でも治せる医者」になっても、その称号を維持するために、また自分自身をさらに高めるための試練や戦いが、一生続いていくだろう。
 前者分類の場合、夢を「体現」している過程が、イコール彼らの「人生」という構図になっているのである。

 「世界地図」「オールブルー」が異なるのは、だから当然、そこである。「オールブルー」に関しては、どのようにしてそれを「見つけた」という事実を、第三者に対しても証明できる仕組みになるのか、その点がまだイマイチ不明だが、「世界地図」の場合は、誰の目にもはっきりとした「夢の実現」の証明が、「形」となって手元に出来上がるのである。

 その地図を描き進める途中、または完成後に、ナミ自身がどのような人生を歩んでいるかは、その「夢」そのものとは、直接にあまり関連しない。

 …で。男と女キャラの「コンビ論」となれば、やはりどーしても「カップル論」に傾いてしまうのは仕方ない…のだが、まーだからようするに、「夢」の実現後、第二の人生航路として、彼らが人並みに「結婚」し、「家庭」を築くという選択をする場合、それにすんなり適応していけるのは、やはり…サンジと、ナミ…くらいしかいないであろう、ということである(あと、条件が許せば、かろうじてウソップか)

 夢を人生から切り離す、分ける、捨てる決意ができる者だけに開かれる、新たな人生航路であり、それがラストに「受け継がれる意志」のひとつの形として、提示されるんじゃないかなー、と。
 ま、もちろんこれは、希望的観測が多分に含まれておりますが(笑)

 で。「夢」を捨ててでも、別の目的のために「生きる」、という選択も、実はそれぞれ、サンジとナミだけが経験してきている。

 この思考の差が顕著に出たのが、バラティエ編でのゾロVSミホーク戦にて…
「死んだほうがマシだ」「簡単だろ!!! 野望捨てるくらい!!!」
 …のそれぞれの台詞か。

 「夢」=「人生」であるゾロにとっては、夢(この場合は野望)を捨てるがごとき行為は「死」に直結するものだったが、サンジはこの時、まさにバラティエ・ゼフのために自分の「夢」を一時的に切り捨てていた身でもあり、夢とは別に生きていく術も知っていた。
 ま、だからこそ、こういうことが言えたのだろうが。

 あと、当然ナミも、「お金をためて村を救う」という別の目的のために、子供の頃からの「世界地図」の夢を封印していた。もし、ルフィに会うことなく、一億ベリーの約束もアーロンの卑劣な裏切りによって反古にされ、また次なる試練に駆り出されていたら…(彼女の性格からして、やはり、一度裏切られても、またさらに頭を働かせて、別方向から村を解放させる方法を探して、それに挑んで行っただろうと思う)、ひょっとすると、一生、夢を捨てたままで生涯を終えることになっていたかも…しれない。

 ま、もちろん、どっちの生き方がいいのか? 人間の生のあり方として理想的なのか? …などと決めつけることは誰にも出来ない。それは受け止める側の感性によって左右されるものであり、夢だけ闇雲に追い続けて、力及ばずくたばるのも、不本意に夢を捨てたまま、本懐を果たせずに朽ちるのも、どっちも所詮、むなしく不毛な人生であることには変わりないのだから。

 …で、結局?? …何を言いたかったのだろう?(書いててわからなくなった)


 「境遇」…としては、やはり、血のつながりはないけど、向こうからすすんで親がわりになってくれた保護者に拾われて育てられて、その保護者から命(…に等しい足)を捨ててまで「生きる」道を与えられて、ルフィに連れられて旅立つまで、それに関連する別の事情のために「夢」を一時封印していた…というあたり。

 まーだから、両者とも、ルフィと出会い、彼のスカウト眼に見込まれて熱烈な勧誘を受け、その時起こっていた大事件の首謀者を打ち倒してもらうことがなければ、今もまだ…サンジは変わらずバラティエの副料理長だったろうし、ナミは、目標の一億ベリーに向けて、最後の「盗み」とやらに出ていたはずである。

 ゾロやウソップは、自らの意志で海へ出て、たまたま目指す方向が同じだったということで、ルフィとの同行を承諾した(ウソップの場合は、むしろ逆か)のだから、「夢」を追う立場は同等だし、船長たるルフィに対して、恩も引け目も何もない。

 いや、もちろん、ルフィが来なければゾロはモーガンらに殺されていたかもしれないし、ウソップの村もキャプテン・クロによって壊滅していたことは間違いないのだが…

 しかし、それでもやっぱり、自分からルフィの船に乗り込んで来たか、旅立ちの状況を万全にととのえてもらって、故郷の人からの後押しも受け、手を引かれて招き入れてもらったか…が、大きく異なると思う。

 ま、だから彼らは、ルフィが自分自身にとってどれほど巨大な影響を与えてくれたかを身にしみて知っているし、この海賊船では、自分がどのような立場にいて、またどうふるまうべきなのか(ルフィが、自分に何を望んで勧誘してくれたのか)、そのあたりもよくわきまえている。

 ただ、ならばもしかして今後、自分の夢か、ルフィの野望か、という選択を迫られた場合、ひょっとすると自分よりも、「船長」を後押しするほうに回ってしまうことも、あるかも…しれない。
 だから、ここでも、以前捨てていたこともある自分の「夢」を、あえて自らの意志で押し殺して、まず他人のほうを優先してやる…ということである。

 それは、エースが「白ひげ」を崇拝(…という域までいってるのかはわからないけど)して、その他人の野望実現に協力するために動いていた、あの思想にも近いものだと思うが。


 「性格」…サンジのキャラページの「補足考察」にて、私はこの男の「度の過ぎた自己犠牲精神」をさんざんこきおろしてしまっているが、何をかくそう、この徴候は、ナミにも大いに共通して見受けられる箇所が多々ある(サンジのように、ハデに流血等をしてるわけではないので目立たないが…)

 それは、10才の時点からすでに…自分を「測量士」として連れ去ろうとした魚人に立ち向かおうとする村人に、「…もういいよ!! やっぱりいいよ!! 助けなくていいから…!!!」と、自分が「犠牲」になることで彼らを救う道を選び、村を買い取る一億ベリーを稼ぐため、不本意ながら「泥棒」に身を落として、盗みや出し抜き・騙しあい等の汚い方面に手を染めてきた。

 また、ルフィたちと冒険に出てからは、ケスチアに感染して命が刻々と削られているのに、国を心配するビビのために、自分の身よりもアラバスタ行きを優先させようとした…あたりも。

 もしビビが、「この船の最高速度」を的確に把握して、「医者探し=医療大国ドラム島」に向かう英断を下していなかったら、Dr.くれはの説明によれば、ナミは間違いなく数日中に死んでいたわけで、これはもう、雪崩の際に自分の身を捨ててナミを守ったサンジとそれほど変わるところはなく、だからやっぱり、「自分よりも、まず他人優先」思考が「似ている」のである。

 Dr.くれはの治療を受けて熱がひいた後も、数日は寝ていなければならないという医者の言を無視して、なんとか早めに出航しようと画策を巡らせていたナミに対し、サンジは「ナミさん、病気はちゃんと治してもらったほうがいいぜ」…と、さすがに見かねて忠告を入れているが(ま、この裏には、「ビビよりナミのほうが、サンジにとっては女性の優先順位が上」という個人的な主観もあるようだが)、自分が守りたい、好きな人間が「自己犠牲」を強行しようとしているのをそばで見守る側の辛さ、はがゆさを、おそらく初めて、その立場に回らされた彼がどこまで実感したのか…は、わからない。

 で、だからとにかく、両者とも「他人を思いやる思考」や「他人が隠している心の内を、それとなく感じとる技術」には、かなり長けている。ただ、自分自身に、あまり他人から踏み込まれたくない心の闇の部分を抱えているせいで、それとなく相手の意図を察しても、それを無理に開かせるようなことも、しない。

 自分の「心の闇」に気づいて心配してくる人間に対して、「てめェには関係ない、放っておいてくれ」と突き放すのと同様、相手の心にも踏み込まず、「何も言わず、そっとしておいてやろう…」と考えてしまうから。
 これは、ラブーン(リヴァースマウンテンのクジラね)に対してサンジが言っていた台詞にも、そのまま符合するものである。

 だがいっぽう、これに関して、まったく逆の天性の才能を持ってるのが、他ならぬルフィ。サンジに対しても、ナミ、ビビ、ラブーンに対しても、それぞれが自身の心に閉じ込めて、ひとりだけで抱え込もうとしていた重荷…責任感、使命感、罪悪感といったものを、あっけなく突き破って、解き放って、また共に分かちあうべく、丸ごと包み込んでくれる包容力、ひと言でいえば「器」のデカさを持つ男。

 ナミとサンジが、ルフィの勧誘に応じて船に乗り込んできたのは、ルフィのそういう度量の大きさに救われた・おそれいった・負けた…からだ。

 だから、この2人がルフィに対して抱いている念は、ゾロ・ウソップらとは、多少異なるところがあるんじゃないか、と思われる。ゾロなどは、もし今後、自分の「夢」の実現のために、ルフィ海賊団から離脱せねばならない…といった状況に出くわしたりすれば、おそらく、あっさりルフィの元を離れて、自分の道を突き進んで行くほうを選ぶであろう(また、ルフィもそれは、心よく応じて後押しするだろう)

 だが、ナミ・サンジは、冒険中に自分の夢がかなってしまい、もうこれ以上、自分としては「旅」を続ける必要がなくなった、としても、ルフィが「海賊王」になるのを見届けるまでは、「夢」とは別に、そのまま船に留まり続けるのではないか? と。

 逆にルフィのほうから、「もうお前らの夢はかなったんだから、これ以上おれについて来なくてもいいんだぞ」と言われても、「そうはいかねェよ、今さらてめェを置いて帰れるかよ」と、やはりここでも「他人優先」の自己犠牲(…というか、この場合は「奉仕」というか)精神を発揮してしまうのではなかろうか。

 ま、これは、ゾロたちにしてもそうかもしれないが、しかしはじめの「夢」の項目に挙げたように、「夢の体現」か「別の形で完成・発見」か、というあたりが異なるので、つまり…なんというか、上記のような状況になってしまう可能性は、かなりありえそうな気がするのである。


 ま、とにかく…これで以下、やっと「コンビ論」(いや、もうほぼ「カップル論」だけど)に入れそうに思うのだが、よーするに両者とも、こういう「実にまどろっこしい性格・境遇の持ち主」であるということをふまえたうえで、また「カップリング」を語るということにさほど拒絶反応を感じない方だけ、次に進んでいただきたく思います(「理想のカップリングは私は○○しか認めないわ!!」という方は、すみませんがここで離脱してください)


 …なお、ここまでの文章に関しては、「Discussion」の「怒濤のエース・サンジトンデモ考察」にて展開した、対談の相方・喉笛氏の意見が大いに参考になっています。あらためて感謝の意を表します。

 BY PURU IWASAKI 2002 06 21

→「サンナミカップリング考」しばし、待て!!

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