「ワンピース」はまさに多面体。きらめくミラーボールのように、そのさまざまな魅力は渾然一体となって光を放っています。
そしてその側面のひとつに魅力あふれる中高年キャラの存在があります。風変わりなヘアースタイル、頑固なライフスタイル、どこか変だけどメインの登場人物にとってこの人に出会えたからこその何かをあたえてくれる包容力ゆたかなひとびと…ここではそんな彼らのうち、『親』の役割をはたす人達に注目し、そこから尾田先生のこの作品における『親子』に対する考え方をさぐります。また海賊王ゴールド・ロジャーの残した言葉でこの作品の重要なキーワードである『受け継がれる意志』の本質に対する考察もここで行いたいと考えます。
「D」の謎をはらんだルフィ、材料の出ないゾロ、出自のはっきりしているウソップ、今だ結末を見ないアラバスタ編のネフェルタリ親子コーザ親子についてはここでは扱わないことにします。
1.遠ざけられる産みの親達
ルフィ・ゾロ・ナミ・ウソップ・サンジ・チョッパー・ビビ…(そしてカヤも)ワンピースのメインキャラの少年少女達は皆さん産みの親とは縁が薄いようです。殊に母親とは…ご存命かもしれない親御さんも、回想シーンでもいたなら当然出てもよさそうなところに決して現われてはくれません。お母さんが登場する例外はおにぎり娘の「リカ」や旧ウソップ海賊団の三人の場合などこまごまとありますが、これらはむしろ、日常の巷の一風景ともいうべきものでここで論じるものではありません。
また産みの父親も子に淡白です。健気なウソップに対しこんなこころない表現は気がとがめますが、彼は産みの父親に捨てられています。捨てられたといえばヘルメッポもそうです。彼も似ても似つかぬ父モーガンに見捨てられています。ドラム国王ワポルの父の前王は賢かったようですが息子は似ても似つかぬ愚か者。産みの父とその息子は描かれても似ておらず、世襲によって伝えられたものは希望のない描かれ方をしています。
18巻166SBSの第3問目、尾田先生のお答えの中に「クリーク編は実は『戦争』が裏テーマでした」という発言があったのでそこに注目してみたいと思います。ルフィの打ち負かす敵達がそれぞれ何かの象徴で、それぞれの戦いにひとつづつ裏テーマがこめられているとします。
ならば一番最初に敵対した女海賊アルビダ、メタファーはずばり『母親』ではないでしょうか。醜い顔をしたやかまし屋の母親。我が子コビーの進路にたちはだかる実母を表したものと考えます。
自由をもとめる少年達の邪魔の筆頭がほかならぬ母親であるというメッセージは、世の母親読者への厳しい警句で、ファンとしてはしっかり肝に銘じなければならないでしょう。
(しかし、あなたはいかがですか?ファンの心理はまたこうも勘ぐってしまいます。尾田先生はお母さまとなにかあったのかも・・・なんてね。)
そしてアルビダが次に別人のような美女へと変身して再登場するのも、なんとも示唆に富んでいて面白いです。このように「ワンピース」では『産みの親』は前面に出ない傾向にあるといえます。また出ても、あまり望ましいものとして表現されないようです。
なにしろ海の略奪者ですから、親がかりの海賊なんてばかばかしくて様になりません。読者の共感をえるためにも、尾田先生がメインキャラとその産みの親のあいだに一定距離を置こうとするのは当然です。でもはたしてそれだけでしょうか。2.真実の愛をみせる生さぬ仲の親達
親の愛にたいして非常に注意深い尾田先生ですが、彼らのときはおもむきがちがってみえました。バラティエ編のゼフ・サンジ親子、アーロン編のベルメール・ナミ親子、ドラム編のヒルルク・チョッパー親子です。
私はここで彼らを血のつながった『産みの親子』に対して養子縁組によらない『義理の親子』と位置づけたいと思います。ゼフ・サンジを『義理の親子』とすることに納得いかない方もおいでかと思いますが、これは後に説明しましょう。この三組の義理の親達には以下の共通項があります。
A.社会のはみ出し者である。
B.かつて住んでいた社会からすっぱり縁を切って新しい稼業に手を染めている。
C.その転機に生死の境をさまよった。
D.義理の子を一目見たときに即断即決で守ることにした。
E.その子はそうしなければおそらく死んでいた。
F.子に「おとうさん」あるいは「おかあさん」と呼ばれることはない。
G.子には苗字がない。ここでの苗字とは産みの親または義理の親自身のルーツを示すものをいう。
H.子に対し真実の親の誠の証として体の一部もしくは自分の命を投げうつ。
I.命を投げうった場合、そのあと子の自立の時期までのあいだ、子育てをひきついでみとどける
異性の相方があらわれる。
J.真実の親子のあいだでしか成しえないような深い印象を残すやりかたで子に何かを伝える。次に項目をつなげてストーリーにしてみましょう。
そうすると三つのエピソードは形は違うけれどまるで同じ一つの話だとわかります。社会のはみ出し者(社会の孤児)が旧世界でひとたび死んで新世界に生まれ変わりを試みます。そのとき運命的な出会いによって孤児を拾います。子供となった孤児は、親にとって新しい人生を切り開くエネルギー源となり生き甲斐となります。
その愛がためされるときが来ると親は子供にをその命(あるいはその命に準じる体の一部)をなげうって真の愛を証明します。親が子に託した個性あふれる信念は(死んだあともなおIの相方によって)子の旅立ちまでに受け継がれたことが見届けられます。
彼らは一見して親子と見えないように設定されております。くわえてお互いを親よ子よと呼び合うことはしません。(チョッパーだけは外見がトナカイというハンデをカバーするためか親から息子と呼ばれる場面があります。)
Iの項でのべた相方は、最初の親とは決して夫婦ではないのですが、それでも子にとってもうひとりの義理の親となります。ゲンゾウとDr.くれはです。
ゲンゾウはナミの旅立ちの前、ルフィにまるで娘を嫁に出す父がそうするように殺気のこもる念押し確認をします。「もし、お前らがナミの笑顔を奪うようなことがあったら私がお前を殺しに行くぞ!!!」(11巻90頁〜)最後でもさらに念押ししています。自分の娘を出すと思えばこそ彼はそうせずにはおれないのです。
一方ルフィのほうはといえば…生ハムメロンに気を取られるルフィとの対比がおかしみをさそうシーンでした。ルフィとゾロにはあり、現われないけどたぶんウソップも持っている。でもナミにはないもの。そしておそらくサンジもないと思われるもの。それはGの項にのべた苗字です。
ナミは村の名簿にも名前の記載がなかったのです。親から伝わる苗字がないということはなんと切ないことでしょうか…しかし新しい人生がはじまったいまは腕に刻んだ父母を表す刺青こそが彼女の新しい苗字といえましょう。
チョッパーにはヒルルクが名づけた名前が唯一無二の苗字。彼に苗字を与えたのは彼のヒトとしての人格を尊重してのことで、ただのトナカイと一線を画する意味合いが感じられます。
次にさきほど保留したゼフ・サンジを『義理の親子』とする理由についてJの点にふれながら説明します。
私はゾロの戦闘能力とサンジのそれは大差がないと感じます。ゾロは幼少から剣の修行に邁進しており、ひたすらそれに多くの時間を割いて今日があります。ですが彼に肉薄するサンジのほうは料理の修行もありながら、どうやってあそこまで戦闘能力を上げたのでしょうか?
神業とも称えられるゼフの蹴り技です。料理の修行中、愛の鞭として浴びるほど蹴られたとしても、条件はパティもカルネも同じ。やられるだけで習得可能なものとは思えません。あれはゼフに手取り足取り教わったものでしょうか?しかし長年一緒に暮してきたパティやカルネ達に二人の過去は知られることはなかったわけです。闇練なぞやっていたらそうはいきませんよね。
そこでこう考えてみました。ゼフに拾われてともに暮し、彼と『義理の親子』として共振共鳴するなかでサンジは遺伝ではないけれど、あたかも遺伝のように蹴り技を受け継いだのだと…
蹴り技は彼らが真の親子の絆で結ばれていることを示す、苗字にも等しいひとつの記号だと考えます。
ナミのたくましさもチョッパーの最高の医者を目指すこころざしも同じように伝えられた真の親子の証でしょう。『義理の親子』を描いた三つのエピソードにはどれも真実の親子愛がありました。いずれも『産み』の慎重さとはうってかわって大々的です。しかも連続しております。
『産み』の場合と『義理』の場合では全く対照的といえます。
3.『受け継がれる意志』の本質
一つを主張することは他を否定することにつながりかねません。物語の根幹を成す部分でそうすることは野暮と紙一重の行いと承知しますが、思いきって断定します。2で述べた義理の親子の三つのストーリーが全く同じ性格であるうえに連続して語られる背景には、何か重要な意味があるとみて間違いないでしょう。ヒルルクの死に際を描いたドラム編中盤16巻第145話のタイトルが『受け継がれる意志』であることから、この三つに共通の性格こそがロジャーの言葉『受け継がれる意志』の本質と考えてよいと思われます.
『受け継がれる意志』とは孤独な魂から孤独な魂へと世代をこえて、血筋に関係ないきずなのなかに飛び石のように伝えられる夢や信念のことでしょう。
ここまでの解釈が幸い当たらずとも遠からずだった…として話を進めます。
最後に尾田先生はなぜこのように『血筋に関係ないきずな』にこだわるのでしょうか。
理由をいろいろ考えてみました。イ.義理の関係というかぼそいつながりの中に真の親子を浮かび上がらせることで、マイナスをプラスに転化させる力『心意気』の効果を増幅させようとした。
ロ.大人への階段を登っていく青少年読者に対する励まし。
「広い社会には両親以外にも素晴らしい見本となって自分を成長させてくれる人生の先輩がきっといる。彼らは君達の登場をいまかいまかと待っているんだよ」という勇気のメッセージ。
ハ.先輩漫画家がすでにやってしまっていることにぶつからない主軸とて!?
家や血筋を、世代をこえて伝わる物事の説明や理由に使う手法はすでにやりつくされているのでこれ以上やる意味はないと考えた。皆さんはいかがお考えですか?われわれ読者では続きを読むしか答えはありませんね。いま一つの傾向をもって浮かび上がった『受け継がれる意志』が、次にはどのような姿をみせるのか。実の父と娘ネフェルタリ親子や謎の多いルフィ・エースの兄弟関係にこの傾向がどうクロスするのか。『Dの意志』とはどのような関係があるのか。
「ワンピース」はやっぱり目が離せません。(おわり)